2025年3月、政府は南海トラフ巨大地震の被害想定を更新し、最悪のケースで死者約29万8000人、経済被害・影響額292兆円という数字を公表しました。これは多くの中小企業にとって「いつか来る災害」ではなく、事業の存続そのものを左右する経営課題です。一方で、中小企業のBCP(事業継続計画)策定率は2025年時点で17.1%にとどまります。本記事では、水害や熱中症ではなく「地震」を主軸に、初動の安否確認・サプライチェーンの複線化・南海トラフ地震臨時情報への対応という3つの柱で、中小企業がいま現実的に踏み出せる実践BCPの作り方を、公的ソースの数字とともに実務目線で解説します。
1|なぜ「地震×中小企業BCP」を2026年に作り直すべきか
1-1 新想定が示す被害規模 — 経済被害292兆円という現実
政府の作業部会(南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ)は2025年3月31日、新たな被害想定を公表しました。マグニチュード8〜9級の地震が最悪のケースで起きた場合、死者は最大約29万8000人、経済的な被害・影響額は292兆円に上ると推計されています。このうち建物・施設の復旧にかかる直接的被害だけで最大224兆9000億円。前回2013年想定の経済被害(約214兆円)を上回り、インフラ老朽化などが悪化の要因とされています。
この数字は、自社が直接の揺れや津波で被災しなくても、取引先・物流・インフラを通じて全国の企業に波及することを意味します。「被災地以外だから関係ない」という前提は、もはや成り立ちません。
※出典:サイエンスポータル(科学技術振興機構)「南海トラフ巨大地震の新想定、死者29万人超・経済被害292兆円」(2025年4月1日/公表は2025年3月31日・南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ)リンク
1-2 中小のBCP策定率17.1% — リソース不足が最大の壁
帝国データバンクの2025年調査によると、BCPを策定している企業は全体で20.4%、規模別では大企業38.7%に対し中小企業は17.1%で、規模間のギャップは21.6ポイントに開いています。企業が想定するリスクの第1位は「自然災害(地震・風水害・噴火)」で70.8%。地震への危機感は高いのに、策定が進まないのが実態です。
策定しない理由の上位は「スキル・ノウハウがない(42.7%)」「人材を確保できない(33.1%)」「時間を確保できない(28.6%)」。つまり中小企業にとっての課題は「危機感」ではなく「進め方」です。だからこそ、完璧な計画書ではなく、まず動ける最小限から始める設計が現実解になります。
※出典:帝国データバンク「事業継続計画(BCP)に対する企業の意識調査(2025年)」(2025年6月20日公表/調査期間2025年5月19日〜31日・有効回答10,645社)リンク
2|柱①:初動 — 安否確認と参集ルールを「迷わない仕組み」にする
2-1 まず人命と安否、そして「誰が判断するか」を決める
大規模地震の直後、最初に止まるのは設備ではなく連絡と意思決定です。電話はつながらず、誰が出社すべきか判断できないまま時間だけが過ぎます。BCPの第一歩は、安否確認の手段・連絡網・参集ルールを平時に文書化し、関係者に周知しておくことです。
ポイントは「複数の連絡手段を用意する」こと。災害時は電話が輻輳(混み合って通じにくくなる状態)するため、安否確認サービス・メッセージアプリ・災害用伝言ダイヤルなど、つながらない時の代替を最低2系統持たせます。あわせて、誰が事業の中断・再開を判断するか(指揮命令の代行順位)を決めておきます。社長が連絡不能でも事業判断が止まらないようにするのが目的です。
2-2 参集ルールは「無理に集まらせない」が原則
地震直後はまず従業員自身と家族の安全確保が最優先で、無理な出社・参集はかえって二次被害を生みます。参集ルールには「いつ・誰が・どこへ集まるか」だけでなく、「集まらなくてよい条件」も明記します。これは後述する南海トラフ地震臨時情報が出た局面でも効いてきます。
BCP(事業継続計画)とは
地震や火災などの緊急事態に遭っても、事業資産の損害を最小限にとどめ、中核となる事業の継続あるいは早期復旧を可能にするために、平常時に取り決めておく計画のこと。中小企業庁の「中小企業BCP策定運用指針」では、優先して継続・復旧すべき中核事業を特定し、目標復旧時間を定め、設備や仕入品調達の代替策を用意しておくことが基本とされています。
※出典:中小企業庁「中小企業BCP策定運用指針(第2版)」(事業継続計画の定義・中核事業と代替策)リンク
3|柱②:サプライチェーンの複線化 — 「1社依存」を見える化する
3-1 自社が無事でも、仕入先が止まれば事業は止まる
中小企業のBCPで見落とされがちなのが、仕入先・外注先という外部の単一障害点です。自社の建物や人員が無事でも、主要部材を1社からしか調達していなければ、その1社の被災で生産は止まります。中小企業庁の指針でも、設備・仕入品調達などの代替策を平時に用意しておくことが中核事業を守る要点として挙げられています。
まずやるべきは棚卸しです。中核事業に必要な部材・サービスごとに「主要な調達先」「代替先の有無」「その調達先がどの地域にあるか」を一覧化し、1社依存・特定地域集中になっている箇所を可視化します。これがサプライチェーンBCPの出発点です。
3-2 「2段階先まで同じ」という隠れたリスク
調達先を複数化しても、その複数社がさらに上流(2段階先)で同じ供給元に依存していると、その上流が被災すれば結局すべて止まります。複数の調達先が同時に被災するケースや、2段階以上先の調達先が同一になっているケースに留意すべきだと、公的なBCPの考え方でも指摘されています。複線化は「直接の取引先を増やす」だけでなく、上流の供給構造まで含めて確認することが重要です。
| 複線化の打ち手 | 中小企業での現実的な進め方 |
|---|---|
| 調達先の複数化 | 中核部材から着手し、主要仕入先に加え別地域の代替先を1社確保する |
| 在庫・備蓄の最適化 | 復旧に時間がかかる重要部材だけ、安全在庫を平時より厚めに持つ |
| 代替生産・外注の確保 | 自社設備が止まった時に生産を委託できる同業他社と平時から関係を作る |
| 上流構造の確認 | 主要取引先に「2段階先の調達先」を確認し、同一供給元への集中を洗い出す |
3-3 全部はできない — 中核事業から絞る
すべての取引・部材を複線化するのは中小企業には非現実的です。だからこそ、まず「止まると事業全体が止まる中核事業」を1つ特定し、その中核事業に直結する部材・取引先だけを優先的に複線化します。完璧を目指さず、影響度の大きい単一障害点から潰すのが、リソースの限られた中小企業の正攻法です。
※出典:中小企業庁「中小企業BCP策定運用指針(第2版)」(中核事業・ボトルネック資源・調達の代替策)リンク
4|柱③:南海トラフ地震臨時情報への企業対応
4-1 臨時情報の3つの段階を正しく理解する
南海トラフ地震臨時情報は、想定震源域で異常な現象が観測された際に発表される情報で、企業が「いま操業を続けるか・備えを引き上げるか」を判断する起点になります。段階は大きく3つです。
| 情報の種類 | 発表される条件 | 主な防災対応 |
|---|---|---|
| 調査中 | 想定震源域などでM6.8以上の地震、または通常と異なるゆっくりすべりの可能性 | 気象庁が関連性を調査。続報に注意 |
| 巨大地震注意 | プレート境界でモーメントマグニチュード7.0以上8.0未満の地震、またはゆっくりすべりと評価 | 日頃の備えの再確認。社会経済活動は原則継続 |
| 巨大地震警戒 | プレート境界でモーメントマグニチュード8.0以上の地震と評価 | 事前避難対象地域は約1週間の事前避難。企業は重要業務の継続方策を検討 |
4-2 「警戒」でも全停止ではない — 縮退と継続の線引き
2025年8月7日、内閣府は臨時情報の防災対応ガイドラインを改定しました。前年夏に「巨大地震注意」が初めて発令された経験を踏まえ、安全確保を前提に社会経済活動の継続を促す方向が明確化されています。「注意」段階では原則として鉄道の運行規制は行わず、イベントや海水浴も「できる限り継続することが望ましい」とされました。
企業対応の要点は、「警戒=全面停止」ではないことです。「巨大地震警戒」が出た局面でも、平常業務の縮退はやむを得ないとしても、重要な業務については安全を確保したうえで継続する方策をあらかじめ検討しておくことが求められます。臨時情報が出てから慌てて判断するのではなく、「どの業務は止め、どの業務は安全確保のうえ続けるか」を平時に決めておくのが企業BCPの肝です。
- 事前に決めておくこと:臨時情報の各段階で「中止する業務/継続する業務」「出社の可否」「事前避難対象地域の従業員の扱い」を明文化する。
- 従業員への配慮:情報発表時は一部の従業員が出社できない可能性を前提に、人員が欠けても回る体制(多能工化・代行順位)を用意する。
- 取引先との連携:自社が継続を判断しても、仕入先が事前避難で止まる可能性を見込み、在庫・代替先で吸収できるか確認する。
※出典:気象庁・静岡県「南海トラフ地震臨時情報について」(発表条件と各段階の対応・事前避難)リンク
※出典:日本経済新聞「南海トラフ『巨大地震注意』で鉄道規制求めず 経済活動継続へ指針」(2025年8月7日/内閣府ガイドライン改定)リンク
5|柱④:中小企業が最初に踏む「一歩」
5-1 完璧な計画書より、A4一枚の初動カード
策定率が伸びない最大の理由が「スキル・人手・時間の不足」である以上、いきなり分厚いBCPを目指す必要はありません。まず作るべきは、地震直後の初動を1枚にまとめた「初動カード」です。安否確認の手段・連絡先、事業判断を誰が代行するか、中核事業に直結する主要仕入先と代替先の連絡先——これだけでも、発災直後の「何から手をつけるか分からない」状態を防げます。
5-2 公的支援を使って「型」から始める
ゼロから設計しようとせず、中小企業庁の「中小企業BCP策定運用指針」が提供する様式(中核事業・ボトルネック資源・財務診断などのフォーマット)を雛形として使えば、スキル不足を補えます。さらに、事業継続力強化計画(中小企業庁の認定制度)のような、簡易な様式から始められる公的な枠組みもあります。「型」に沿って埋めることで、専門知識がなくても抜け漏れの少ない初版を作れます。
| 3つの柱 | 中小企業の「最初の一歩」 |
|---|---|
| 初動・安否確認 | 安否確認手段を2系統用意し、事業判断の代行順位をA4一枚に明記 |
| サプライチェーン複線化 | 中核事業の主要仕入先を棚卸しし、1社依存の部材に代替先を1社確保 |
| 臨時情報対応 | 「注意/警戒」で止める業務・続ける業務をあらかじめ線引き |
6|まとめ
この記事のポイント
- 2025年3月公表の新想定では、南海トラフ巨大地震の死者は最大約29万8000人、経済被害・影響額は292兆円(直接被害だけで最大224兆9000億円)。被災地外の企業も取引・物流を通じて波及する。
- 中小企業のBCP策定率は17.1%(2025年)で大企業38.7%との差は21.6ポイント。課題は危機感ではなく「スキル・人手・時間」という進め方の壁。
- 地震BCPの柱は①初動(安否確認2系統+事業判断の代行順位)②サプライチェーン複線化(中核事業の1社依存と2段階先の集中を洗い出す)③臨時情報対応。
- 南海トラフ地震臨時情報は調査中/巨大地震注意(Mw7.0以上)/巨大地震警戒(Mw8.0以上・約1週間の事前避難)の3段階。2025年8月の指針改定で、安全確保を前提に経済活動の継続を促す方向が明確化された。
- 中小企業の現実解は完璧な計画書ではなく、初動カード1枚+中核事業の仕入先複線化から始め、公的な様式と認定制度を雛形に使うこと。
WiZNAVIでは、地震を主軸とした中小企業の事業継続(止まらない仕組みづくり)を、初動・サプライチェーン・臨時情報対応の観点から実務目線でサポートしています。自社の中核事業をどう特定し、どこから複線化すべきか、現場に合った進め方をご相談ください。
WiZNAVI 編集部
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