内閣府の令和8年版防災白書は特集で「国難級の地震・津波災害」を取り上げ、南海トラフ地震・首都直下地震に加えて、千島海溝地震・日本海溝地震を並べて扱っている。政府が想定する冬深夜の最大ケースでは、日本海溝地震で約19万9千人、千島海溝地震で約10万人の死者が想定されている。企業のBCPが南海トラフと首都直下だけに備えを集中させてきたなら、想定される震源域の全体像を見落としているおそれがある。
令和8年版防災白書が扱う四つの章と三つの震源域
令和8年版防災白書の特集「国難級の地震・津波災害」は四つの章で構成されている。第1章は地震・津波災害の概要にあてられ、過去の主要な地震・津波のメカニズムを整理している。第2章は今後想定される大規模地震・津波の被害規模と様相を扱う中心章だ。第3章は大規模地震・津波災害への備えとして対策の枠組みと実行計画を示し、第4章は第1次国土強靱化実施中期計画にあてられている。このうち第2章で、政府は千島海溝地震・日本海溝地震、首都直下地震、南海トラフ地震という三つの震源域を並べて詳しく扱っている。単発の特集記事ではなく、政府の公式な年次報告書がこの構成を選んでいること自体に意味がある。リスクの重心が一つの震源域に収まっていないことを、政府みずからが可視化した形だ。
白書の本文では、令和7年度に発生した地震としてトカラ列島近海、カムチャツカ半島東方沖、青森県東方沖の地震も記録されている。国内外で体感される地震が相次いだ年度に、あえて南海トラフ・首都直下以外の震源域を特集で正面から扱った点は、読み手であるBCP担当者が見落としやすいポイントだ。
日本海溝・千島海溝地震の被害想定はどれほどの規模か
内閣府が公表している被害想定の解説ページによれば、冬の深夜に地震が発生した最悪ケースで、次のような規模の被害が見込まれている。
| 想定される被害 | 日本海溝地震 | 千島海溝地震 |
|---|---|---|
| 死者数(冬深夜・最大) | 約19万9千人 | 約10万人 |
| 低体温症の要対処者 | 約4万2千人 | 約2万2千人 |
| 建物被害(冬夕方) | 約22万棟 | 約8万4千棟 |
| 経済的被害 | 約31兆円 | 約17兆円 |
この規模感は、これまで南海トラフ地震や首都直下地震で語られてきた被害想定と並んで検討する価値がある水準だ。首都直下地震の被害想定改定を企業BCP視点で読み解いた記事では、想定死者数が2.3万人から1.8万人へ引き下げられた経緯を扱ったが、日本海溝・千島海溝地震の想定はその規模を大きく上回る。冬の深夜という条件下での最大ケースであり、常にこの規模になるわけではないが、政府が国難級と位置づける根拠がここにある。
なぜ南海トラフ・首都直下に備えが偏ってきたのか
南海トラフ地震と首都直下地震は、想定される発生確率の高さと被害人口の多さから、これまで企業のBCP策定における主要な想定シナリオとして扱われてきた。南海トラフ臨時情報が出た場合の対応を一望した記事や、事業継続を軸に臨時情報への向き合い方を扱った記事でも見たとおり、南海トラフ地震は臨時情報という具体的な運用制度まで整っており、企業側の対応手順も比較的整理が進んでいる。首都直下地震も本社機能の集中という地理的な事情から、優先度の高い想定として扱われてきた経緯がある。
一方で千島海溝・日本海溝地震は、震源域が北海道・東北の太平洋側に集中しており、全国に拠点を持つ企業でも「自社には関係が薄い」と捉えられやすかった。しかし令和8年版防災白書はこの震源域を国難級として並べている。被害の絶対量だけでなく、サプライチェーンや広域応援体制への影響という観点でも無視できない規模であることを、政府が示したと読める。
想定される震源域が増えるほど、企業側は「どれを優先すべきか」という判断を迫られる。もっとも、優先順位づけは自社の拠点立地や取引網の構造によって変わるため、一律の答えはない。重要なのは、震源域を絞り込む前に、政府が示す最新の被害想定の全体像を一度は把握しておくことだ。南海トラフ・首都直下だけを見て安心してしまうと、想定外の震源域からの影響を検討する機会そのものを失う。
BCP実務への示唆、想定シナリオの見直しが要る
企業のBCP担当者にとっての実務上の論点は、既存の事業継続計画が南海トラフ・首都直下の二つのシナリオだけを前提に組まれていないかを点検することだ。BCP投資としてのシェルターを扱った記事で見たように、拠点の物理的な備えは特定の震源域を想定して設計されることが多い。北海道・東北エリアに拠点や取引先を持つ企業であれば、千島海溝・日本海溝地震を主要な想定シナリオに追加する必要性は高い。
拠点が同エリアになくても、部品調達や物流網が北海道・東北を経由している企業は、サプライチェーン寸断のリスクとして想定に組み込む価値がある。想定シナリオを増やすことは策定コストの増加を意味する。しかし令和8年版防災白書が示した被害規模を踏まえれば、南海トラフ・首都直下の二本柱だけでBCPを完結させる従来の発想そのものを、一度見直す時期に来ている。
見直しの第一歩は大がかりな計画の全面改定を意味しない。まず現行のBCPが前提としている震源域を棚卸しすることから始まる。想定リスト上に千島海溝・日本海溝地震が入っていないなら、まずは自社の拠点網・調達網がこの震源域とどう関わるかを洗い出す作業から始められる。国の被害想定はあくまで最大クラスの試算であり、そのまま自社の対策目標にする必要はない。ただし想定の存在を知らないまま計画を据え置くことと、知ったうえで「今回は対象外」と判断することは、BCPの説明責任という観点で意味がまったく異なる。
首都直下・南海トラフとの向き合い方は変えなくていい
千島海溝・日本海溝地震への注意を強めることは、南海トラフ・首都直下地震への備えを弱めることを意味しない。二つのシナリオはそれぞれ発生確率や被害の様相が異なり、南海トラフ地震には臨時情報という運用が始まっている固有の制度がある。企業が最初に取り組むべきは既存の備えを見直すことではなく、想定リストに抜けている震源域を足すことだ。優先順位の入れ替えでなく、対象の拡張として捉えれば、既存のBCP資産を無駄にせずに済む。
想定を広げる作業は、必ずしも一度に完結させる必要はない。まずは自社の拠点・取引先・物流経路が千島海溝・日本海溝の被害想定エリアとどの程度重なるかを確認する。重なりが大きい場合から順に検討を深めるという段階的な進め方でも十分に意味がある。政府が公開している被害想定の解説ページは地図や地域別の数値も示しており、自社の拠点所在地に引き寄せて読むだけでも、想定の抜け漏れに気づく手がかりになる。
出典
- 内閣府 令和8年版防災白書 本文(特集「国難級の地震・津波災害」目次): https://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/r08/honbun/index.html
- 内閣府 日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震 解説ページ(被害想定の数値): https://www.bousai.go.jp/jishin/nihonkaiko_chishima/kaisetsu/index3.html
(公開日: 2026-08-26 / 執筆: SUP+30編集部 / 一次情報の更新があり次第、本記事を更新する)
国土強靭化に関わる政策・制度・予算を、建設/不動産/施設運営の経営判断に使える形で読み解く編集チーム。

