2026年3月31日に閣議決定されたシェルター確保基本方針は、「有事と災害の両方に使えるシェルター」という日本独自のコンセプトを打ち出した。本記事では、政策の概要ではなく、このデュアルユース設計思想の中身と、既存インフラをどう転用するのかという具体的な実装方法に焦点を当てて解説する。
なぜ「デュアルユース」なのか — 日本固有の事情
世界のシェルター先進国を見ると、それぞれの地政学的リスクに応じたアプローチを取っている。フィンランドはロシアとの国境を接する地理的条件から、人口550万人に対して480万人を収容できる約5万500カ所のシェルターを整備済みだ。イスラエルでは1992年以降、住宅にも「メルカブ・ムガン」と呼ばれる避難室の設置が義務化されている。
一方、日本は地震・台風・豪雨・津波といった自然災害リスクが極めて高い。武力攻撃のみを想定したシェルターでは、平時の自然災害に対応できず、投資対効果が低くなる。逆に、災害用の避難所は爆風やNBC(核・生物・化学)兵器への防護能力を持たない。
この二律背反を解消するのが「デュアルユース(二重用途)」の発想だ。ミサイル攻撃時の爆風・放射性物質からの防護と、地震・津波・豪雨時の緊急避難所を一つの施設で兼ねることで、整備コストの合理化と施設の利用頻度の向上を同時に実現する。
フィンランド・ヘルシンキモデルに学ぶ「日常利用」
日本型シェルターの設計思想に影響を与えているのが、フィンランドのヘルシンキモデルだ。2023年8月に当時の小池百合子東京都知事がヘルシンキを訪問し、現地の地下シェルターを視察している。
ヘルシンキでは人口に対して134%の収容能力を持つ約5,500カ所のシェルターが整備されており、平時はスポーツジム、プール、フットサルコート、駐車場として日常的に使用されている。有事には72時間以内に避難生活ができる場所に転換される仕組みだ。
このモデルの本質は「シェルターは非日常のための施設ではなく、日常と非日常をシームレスにつなぐインフラ」という考え方にある。日本型シェルター構想も、この思想を取り入れ、平時から活用される施設を有事・災害時に転用するアプローチを採用している。
既存地下空間の転用 — 何をどう変えるのか
日本には既に膨大な地下空間が存在する。2025年4月時点で全国に約6万1,000カ所の緊急一時避難施設が指定されているが、そのうち地下施設はわずか約4,000カ所にとどまる(日本経済新聞報道)。基本方針では、以下の民間地下空間をシェルターとして活用する方針を打ち出している。
- 地下鉄駅:全国に約1,000駅以上ある地下鉄駅は、すでに堅牢な構造を持つ
- 地下街:東京・大阪・名古屋・福岡などの大都市に約80カ所
- 大規模商業施設の地下駐車場:郊外を含め全国に多数
- オフィスビルの地下階:都心部に集中
ただし、これらの施設をそのままシェルターとして使えるわけではない。デュアルユース対応には、以下のような改修・追加設備が必要になる。
1. 爆風対策
日本核シェルター協会によると、ミサイルの爆風に耐えるためには厚さ30cm以上の鉄筋コンクリート構造が基本とされる。地下鉄駅や地下街はこの条件を概ね満たしているが、出入口からの爆風侵入を防ぐ防爆扉(厚さ200mm程度)の設置が必要だ。
2. NBC防護と換気設備
核・生物・化学兵器による汚染空気の侵入を防ぐCBRNE対応の換気装置が不可欠だ。日本の建築基準法では一人当たりの必要換気量が20m3/hと定められており、これをベースにフィルタリング機能を追加した換気システムの設計が必要になる。自然災害時には通常の換気として機能し、有事にはフィルターモードに切り替わる二重構造が求められる。
3. ライフライン確保
「長くとも数日程度」の避難に対応するため(基本方針)、以下の設備が必要となる。
- 非常用電源(自家発電設備またはバッテリー)
- 飲料水の備蓄または浄水設備
- 食料備蓄スペース
- 通信設備(Wi-Fi、衛星通信等)
- トイレ・衛生設備
先行事例:東京都の麻布十番駅シェルター化計画
デュアルユース型シェルターの先行事例として注目されるのが、東京都が進める都営地下鉄大江戸線麻布十番駅のシェルター化計画だ。駅に併設する広さ約1,400平方メートルの防災備蓄倉庫を改修し、2026年度から工事を開始する方針が示されている。
計画では、水や食料の備蓄に加え、非常用電源や通信設備も備え付ける方向で、弾道ミサイル攻撃時に構内で長期間滞在できる施設を目指す。既存の地下鉄インフラを活用しつつ、最小限の改修でシェルター機能を付加するアプローチは、全国の地下鉄駅への展開モデルとなる可能性がある。
容積率緩和と認定制度 — 民間参入のインセンティブ
民間事業者にシェルター整備への協力を促すため、基本方針では容積率の緩和と認定制度がインセンティブとして掲げられている(西日本新聞報道)。
容積率緩和とは、建物の地下部分をシェルターとして整備した場合に、その分の床面積を容積率の計算から除外する措置だ。これにより、デベロッパーは地上部分の建築可能面積を維持しながら地下にシェルター機能を追加できるため、不動産開発としての経済合理性が確保される。
認定制度は、一定の防護基準を満たした民間施設を「認定シェルター」として公的に位置づける仕組みだ。認定を受けた事業者への表彰も検討されており、CSR(企業の社会的責任)の観点からも参入インセンティブとなり得る。
これらの制度設計の詳細は今後策定される実施方針で具体化される見通しだが、建設業者やデベロッパーにとっては、新築・改修計画の段階からシェルター機能を組み込む設計を検討しておく価値がある。
建設業者が押さえるべき3つの設計ポイント
日本型シェルターの整備に関わる建設業者にとって、以下の3点が実務上の重要なポイントとなる。
- 「転換容易性」の設計:平時の用途(駐車場、倉庫、商業スペース等)から有事・災害時のシェルターモードへ、短時間で転換できる設計が求められる。フィンランドでは72時間以内の転換が基準だが、日本ではミサイル攻撃の警報から着弾までの時間が短いため、より迅速な転換が必要になると見られる。
- 自然災害との両立設計:地下施設の最大のリスクは浸水だ。デュアルユースで豪雨時の避難所としても機能させる場合、防水・排水設計が極めて重要になる。地下鉄駅の止水板、地下街の排水ポンプなど、既存の浸水対策を前提としたシェルター設計が求められる。
- バリアフリー対応:高齢者・障害者・乳幼児連れの避難者を想定したアクセシビリティの確保も不可欠だ。エレベーターが使用できない場合の代替動線、車椅子対応のスペース確保などを設計段階から考慮する必要がある。
今後の展望
日本型シェルター構想は、有事と災害という二つの脅威に一つのインフラで対応するという、世界的にも先進的なアプローチだ。2030年の全市区町村カバー率100%という目標に向け、今後は実施方針の策定、具体的な設計基準の整備、補助制度の創設が進む見通しだ。
建設業者にとっては、爆風対策・NBC防護・換気設備といった従来の建築分野にはなかった技術領域への対応が求められる一方、既存の地下空間改修という大きな市場が開ける。デュアルユースの設計思想を理解し、早期に技術的な準備を進めることが、この新市場での競争優位につながるだろう。
強靭化Bizナビ編集部
国土強靱化・防災ビジネスに特化した専門メディア「強靭化Bizナビ」の編集チーム。政策動向、市場分析、補助金情報、導入事例など、ビジネスパーソンの意思決定に役立つ情報を配信しています。